2012年12月06日
熊本の妖怪 26 兄弟狐

熊本城築城の時の伝説も残っています。
清正と兄弟狐
いまから約400年前、
住みかを失った2匹の兄弟狐が大阪から近江の国(現・滋賀県)長浜へふらりとやって来ました。
ちょうどその時、井上大九郎と木村又蔵という侍の決闘の場に出くわしました。
しばらく成り行きをうかがっていると、たまたま通りがかった加藤清正(かとうきよまさ)が、
二人の仲裁に入りました。
様子を見ていた狐は
「あの殿様(とのさま)は将来(しょうらい)天下に名を馳(は)せる名君になるお方だ」と見込(みこ)んで、
清正について肥後(ひご)の国に入り花岡山の八枚石の所が大阪石山城
の石垣に似ていたことから花岡山を住みかとしました。
ある日のこと、清正が熊本城築城に当たり花岡山付近の石を採ろうとしましたが、
この八枚石の所だけがどうしても採れません。
そこで、清正自ら出向いて懸命に調べてみましたがやはり採れませんでした。
不思議に思いながら、清正がしばらく休もうと八枚石に腰(こし)を下ろし、
うとうとしていると兄弟狐が姿を現しました。
「私たちは、殿(を慕って近江の国からついて来た兄弟狐でございます。
ここの石は築城の石垣には適しておりません」と言って姿を消してしまいました。
清正はそれを聞いて喜び、
「兄の狐は花岡山(はなおかやま)に住んで肥後の国の繁栄を守り、
弟の狐は茶臼山に移って城を守るがよい。
そして兄は清藤(きよふじ)大名神、弟は緋依(ひえ)大名神と名乗るがよい」と言われました。
それ以来、肥後の国はこの兄弟狐によって守られたといいます。
※茶臼山(ちゃうすやま)/熊本城がある標高50メートルの丘陵。
清正は、東高西低の地形を利用して熊本城をつくった。
大阪からわざわざ来てくれて助けになってくれました。
主君秀吉と自分を重ねていたのかもしれないですね。
藤崎宮秋の大祭は、清正の朝鮮出兵に始った祭りですよね。
熊本城にもさまざまな、歴史的に立派な建造物としてだけではなく、
さまざまな伝説が語り継がれています。
それはまた、後程。
和太鼓教室おんがくの森代表・坂本新吾
メール ongakunomori1978@gmail.com
電話 08033760407
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Posted by 和太鼓×子育て つーパパ 熊本 at 11:38│Comments(0)
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